駄文でも良い。とにかく描くんだ。
当面は私の思考をひたすら吐き出すためにここに記事を書くことにする。
先述のタイトルは他者への助言ではなく、あくまでも私自身に言い聞かせる言葉と思っていただいて差し支えない。
とにかく思った事を書け。駄文でも何でもいい。
「教科書通りのコツ」とそれにコミットしようとすることで発生する義務感が私を書くことから遠ざけた
ほんとにダメだ。
以前にも私はブログを書きつづけることを試みようと、「SEO」だの「アフィリエイト」だのと言った分野の情報を本やネットなどから収集し、そこに書いてある「教科書通り」のこつを踏まえながら数十もの記事を量産した時期があった。
だが、その時は収益はもとより、アクセス数も伸びず、一切実を結ぶものが無かった。
上記の「教科書通りのルール」に固執する割には記事の中身を伴わせるための情報収集は殆ど伴っていなかったので、表面ばかり取り繕って中身が無い記事ばかりが出来上がっていたのだ。
その頃の私は丁度心身の不調が酷く、大学の授業を受けるので精いっぱいだったので、それ以外のことには全く手が付けられないでいた。
それも相まってブログを書く意義が見いだせずに3-4年もの間このブログを放置し続ける事になった。
ブログ再開のきっかけは知り合いのストレングスコーチとの会話
先日機会を頂いて知人のストレングスコーチと話をした。
そこで会話をしているうちに、彼女から「ブログに考えたことを書き起こしてみては?」との提案を頂いたのだ。
彼女の話では、私のFacebookでのコメントなどを見る限りでは文章を書くことが苦ではないという印象だそうで、実際私も大学入学以前から文通をし続けている友人もおり、大学でのレポートや論文での文章も出来が良いと教授から評価されていた。
丁度私が就職したのは地元の情報誌を発行する会社なので、曲がりなりにもこのブログで考えを吐き出すというのは発信力や表現力を磨くという意味でも役立つかもしれない。
先日の会話でそういう考えに至ったので、SNS発信に毛が生えたようなレベルでもいいからとにかく自分の中で書くことのハードルを下げてこのブログに書きたいことを書きたいだけ書こう、と決めたのである。
怠惰と甘えを正当化してきた自分自身の弱さに終止符を
とにかく書け。駄文でも雑念でも書いて外に出せ。
どんなに思考や知識を持っていても、外に出さなければ現実では無かったも同然のものとして扱われる。
「他の人が私を思う以上に私は考えているんだ」というのは甘えでしかない。
「今やる必然性なんて無い」と自分に尤もらしい言い訳をしてどれだけ多くの機会と時間を無駄にしてきたことか。
自分自身の怠惰と甘えを合理的無知を盾に正当化していくことでどんどん時間を溝に捨てて中身のない恥ずかしい人間になっていった。
自分自身の実生活に直結する部分には目を背けて大学の図書室で専門書や学術書などを読み漁る自分は他の奴らとは違うと良い気になってイキっていた。
勿論そこから得られた見解や思考などもあったのは間違い無いが、私の大学時代は上記のことにより元来の地に足のついていない性質が顕著に表れていた時期でもあったのだ。
(勘違いしないでほしいが、別に私は過去の怠惰な自分を卑下も後悔も一切していない。そのときの私は例え上記を頭で理解はしても実行に移すキャパは体調などの関係でそもそもなかったからだ。)
本当に定職にもつかず家族の仕送りだけで気楽に暮らせた大学時代だからこそ成り立ったのだなと今になれば考える。
現在(少なくとも現時点では)はそうしたのんきな生活は出来ないので、先述の先延ばし癖を言い訳に必要な事をしないという余裕は当然ない。
なので現在は職に就きながら時間と元気があるときにブログを更新していくつもりだ。
意気込みすぎて書くことのハードルを上げないように・・・
字面にすると精神論のような非常に胡散臭い響きになるが、これはあくまでも私自身に言い聞かせるためのものだ。
万一この文章を閲覧された方がおられるときのために言っておくが、私以外の人間には上記の文章はおそらく何の身にもならない場合が殆どだと思われるので、どうか真に受けないように。